浦和地方裁判所 昭和58年(タ)55号 判決 1984年9月19日
原告(反訴被告)
甲野太郎
被告(反訴原告)
甲野花子
右訴訟代理人
国分昭治
主文
一 原告(反訴被告)と被告(反訴原告)とを離婚する。
二 右当事者間の長男一郎(昭和五二年一月二六日生)、二男次郎(昭和五四年三月一〇日)、三男三郎(昭和五五年四月一〇日生)の親権者をいずれも被告(反訴原告)と定める。
三 原告(反訴被告)は被告(反訴原告)に対し、金九四〇万円を支払え。
四 原告(反訴被告)のその余の請求を棄却する。
五 訴訟費用は、本訴、反訴を通じてすべて原告(反訴被告)の負担とする。
六 この判決は、第三項のうち金三〇〇万円に限り、仮に執行することができる。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 本訴請求の趣旨
1 原告と被告とを離婚する。
2 原、被告間の長男一郎(昭和五二年一月二六日生)、二男次郎(昭和五四年三月一〇日生)、三男三郎(昭和五五年四月一〇日生)の親権者をいずれも原告と定める。
3 被告は原告に対し、金三〇〇万円を支払え。
4 訴訟費用は被告の負担とする。
二 本訴請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
三 反訴請求の趣旨
1 反訴原告と反訴被告とを離婚する。
2 前記未成年者三名の親権者をいずれも反訴原告と定める。
3 反訴被告は反訴原告に対し、金九四〇万円を支払え。
4 訴訟費用は反訴被告の負担とする。
5 第3項中金三〇〇万円について仮執行宣言
四 反訴請求の趣旨に対する答弁
1 被告の反訴請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は反訴原告の負担とする。
第二 当事者の主張<省略>
第三 証拠<省略>
理由
一<証拠>を総合すれば、次の事実を認めることができる。
1 原告(昭和二二年二月一二日生)と被告(昭和二四年一一月一七日生)とは、昭和四九年三月それぞれの友人の結婚式に出席した際に知り合い、同年一〇月結納をかわし、同年一一月二四日北海道函館市で結婚式を挙げ、翌二五日に婚姻届を了した夫婦である。両名間には、昭和五二年一月二六日長男一郎、同五四年三月一〇日二男次郎、同五五年四月一〇日三男三郎が出生した。
2 婚姻当初、原告は日本アイ・ビー・エム株式会社にエンジニアとして、被告は○○女子高等学校に家庭科教諭として、それぞれ勤務していたが、原、被告間の夫婦生活は当初から順調とはいえなかつた。たとえば、函館で挙式後、被告が船で青森へ帰宅する両親たちを見送りに行こうとした際、タクシーの手配が遅れていたため間に合わないのではないかと気をもみ、原告に対し、「遅れちやう。早くタクシーは。」などと言つていると、原告は「自分が函館のことを良く知つているのだから黙つてついてくればよい。」と言つて、被告の頭を手拳で殴打した。また、沖縄へ新婚旅行に行く際、被告は原告から浜松町行きの電車の切符を渡されていたが、誤つて池袋の東上線の改札口で出してしまつたために切符を再購入している間、原告は被告に何も告げることなく被告を残したまま、宿泊予定の羽田のホテルへ一人で行つてしまつた。また、旅行中の徳之島空港では原告は自分だけ飛行機に乗り込んでしまい、離陸寸前に被告を待合室まで迎えに来て公衆の面前において、ぐずぐずしているといつて被告の頭を手拳で殴打する有様であつた。更に、昭和五〇年三月夫婦で伊豆へ自動車で旅行することになつたときも、途中、自動車のサイドミラーが壊れていたため、原告から左方を注意するように言われたが、どのようにしてよいか被告が迷つていると、原告は同行していた○○女子高等学校の卒業生の面前で、いきなり被告の頭を手拳で殴打した。
3 昭和五一年原、被告は、埼玉県志木市内に中古住宅を買つて居を移した。そして昭和五二年三月被告は○○女子高等学校を退職し、終日自宅で生活するうち、エホバの証人と称する宗教団体に聖書を勉強してみませんかと誘われて、勉強に参加することになつた。原告は右団体が一つの考え方を強制するものであるとして反対したが、被告の意思が固かつたため、聖書の勉強が家庭生活に支障きたす場合には、直ちに勉強を止めるように言つて了解した。しかし、原告は被告の同会への加入を心良く思わなかつたが、爾来今日まで被告は同会の宗教活動に参加している。
4 昭和五二年一一月一七日は被告の誕生日であつたが、あいにく雨降りであつた。原告は、被告に常日頃から靴をきちんと点検して磨くように注意していたのに、外出中、靴が雨にしみて穴があいたのは日頃から原告の言うことをよく聞かないためであると憤慨し、帰宅後、被告に対し、「その靴を持つて実家へ帰り、靴をみせ、ちやんと磨けるようになつたら帰つてこい。」とか、「靴をサイドボードの上へ一週間飾つて反省しろ。」などと暴言を吐いた。被告も堪り兼ねて、長男を連れて被告の実家のある青森へ帰つた。被告は同年一二月初めころ実家の両親とも相談のうえ調停を申し立てることを考慮して再度上京したが、志木の自宅の近隣の知人から子供のために頑張るように励まされ、再び気を取り直して結婚生活を続けることになつた。原告は、被告が実家に一時戻つたことや被告の実母が電話で原告と口論したことなどに怒りを覚え、被告に対し、今後原告が人格を認めるまで人間としての権利を主張しないこと、被告が今後家を出るときには一切の財産権、慰謝料を請求しないこと、被告は実親と縁を切るかあるいは実親に原告に対して謝罪させること、右約束の確認のため原告が被告を殴ること等という要求を結婚生活継続の条件としたうえ、被告を激しく殴打した。
5 その後における原、被告間の同居生活も、やはり円満に運ばなかつた。例えば、原告は、昭和五四年一一月ころ帰宅してみると、家の中が足の踏み場がないほど雑然としていたうえ、温風機の上に新聞紙が放置してあつたことを見て、被告が部屋の整理整頓をせず、かつ、被告が子供らに対し、「温風機の上に物を置いてはいけない。火事になるから。」と注意しているのに、被告自身が実行していないと怒り、就寝中の被告を起こして、殴りつけた。また、同年二月三日には、原告が被告に対し、長男一郎が壊した釘セットの蓋を修理しておくように頼んでおいたのに修理未了であつたことから原告は怒つて、被告に対し、「出て行け。」と繰り返して言つた。そこで、被告は「そんなに言うなら出て行くわよ。」と応酬して自分の荷物をまとめたところ、子供たちが泣きわめいて懸命に止めるので、その夜はひとまずおさまつたが、翌朝被告が近所まで出かけている間に原告は被告の荷物を外へ放り出し、玄関に施錠し家の中に入れないようにしてしまつた。そこで、被告は止むをえず近所の知人宅に二日間世話になり、原告の母に電話で事情を説明して志木の自宅へかけつけてもらい、原告を説得してもらつたが、原告が被告を志木の家に入れることに応じないため、被告は原告の母とともに子供を連れて函館の原告の実家へ身を寄せた。被告の母も原告の実家へかけつけて相談したところ、かような状態では問題の解決にならないということで、被告は昭和五四年一一月上京し、東京都北区赤羽にアパートを借りて住むことにし、浦和家庭裁判所に離婚を求めて夫婦関係調整の調停を申立てた。ところが、同年一二月原告から調停を取下げて志木の自宅に戻つてほしいとの申し入れがあり、原告は引越費用五〇万円と一二月の生活費一五万円を被告に手渡した。しかし、被告はアパートへ引越して間もない時期でもあり、再び安易に自宅へ戻つてみても生活が改善される見込もなかつたので、原告の申し出を断つて調停を継続した。その後、原告は被告のアパートを訪れ、一月分の生活費として一〇万円を手渡してくれたが、原告が手渡した引越費用や生活費の借用証を被告に書かせる始末であつた。
6 かような経過の中で、被告は昭和五五年四月に三男を出産したが、原告から仕送りがないので同年四月中旬には生活保護の申請をし許可を受けた。翌五月には出産のため中断していた調停が再開されたが、原告の要求が一方的であつたため遂に昭和五五年一二月一二日不成立に終つた。そこで、昭和五六年三月に原告の両親、弟、被告の母及び原、被告らが集まつて原、被告間の離婚問題について話し合つた。席上被告は子供のために離婚せずに改めて結婚生活をしたい旨を申し入れたが、今度は原告が離婚を主張した。しかし、原告は親族らに説得されて再び同居生活を始めることになり、被告は昭和五六年三月二九日志木の自宅へ戻つた。
7 だが、原、被告間の共同生活はまたしても円満ではなかつた。例えば、原告は被告に対し、「おまえが悪いため別居したのに、結局は帰つて来て、この出戻りめが。」とののしつた。また、三人の子供のめんどうをみなければならないため、引越荷物の整理が仲々できないでいるのに、原告は「座る場所ぐらい作れよ。」と殴りつけたりした。更には、ある夜の一二時ころ、被告が台所で換気扇を回しながら食器を洗つていると、原告は「てめえ、子供が泣いているのがわからないのか。」と頭をいきなり殴つたこともあつた。その後も原告の被告に対する粗暴で、思いやりのない態度は変わらなかつた。昭和五六年六月被告が子供たちを連れてエホバの証人の夜間集会に出席した際、偶々原告より帰宅が遅かつたところ、原告は被告が子供たちを連れてエホバの証人の集会へ出席することは教育上良くないと考え反対していたこともあり、「ただいまと帰つて来た夫を迎えないで何が妻だ。」と激怒し、被告を足で蹴飛ばしながら玄関のたたきまで落とした。そして、同年七月には原告は、被告の作つた料理は食べられないと言つて、生活費も満足に被告に対し渡さなくなり、被告は子供を通じて「パパ牛乳を買うお金をちようだい。」といわせて生活費の一部をもらう始末で、普通の夫婦間の会話もなくなつてしまつたのである。更には、子供が耳鼻科へ通院するのに「パパお金下さい」と頼むと、被告に対し、「てめえがエホバの証人なんかやつているから子供らが病気になるんだ。仲間の人からもらえばいいじやないか。」と暴言を吐いて治療費を渡さなかつた。その後、昭和五六年八月六日から九日まで西武園でエホバの証人の地域大会が開催されることになつていた。被告は原告の了解を受けて出席しようと考えたものの、五日の夜一二時になつても原告が帰宅せず、またその当時は夫婦間の会話もなかつたことから、「どんなことがあつても聖書の勉強はやめることができない。原告も調べてほしいと思つている。」との手紙を書いて先に就寝したところ、原告は帰宅後これを読んで激怒し、被告を起こして階段を引きづり降ろし、「聖書に書いてあることを五分以内で言え。」と言つて、被告の言葉を録音テープにとるなどした。その翌日六日被告が大会から戻ると、原告は自宅を施錠し、四泊五日の予定で登山に出かけたため、被告と子供たちは自宅に入れず、止むをえず大工に依頼してサッシの窓をはずし家の中へ入つた。ところが、同月一〇日ころ、登山から帰つた原告に対し、被告が「お帰りなさい。」というと原告は、「どろぼう猫め、どうやつて入つたんだ。」と言つて被告の頭を殴打して家の外へ追い出し、「この辺をうろつくんじやない。どこか見えないところへ消えうせろ。」と怒鳴つた。そこで、被告は近所の知人宅に泊まつたが、翌八月一一日自宅の戸があいていたので入ると、原告が二階から下りて来て「何で入つて来たんだ。あやまれ。」といい、被告が「別に悪いことはしていない。」と反論すると激怒して手拳で殴打し、髪を引つばり、被告の着ていたTシャツをまくり、ベルトで被告の背部を殴りつけるなどしたので、たまりかねた近所の人が駆け付けて止めさせるほどであつた。そして、原告は被告の聖書関係の本類を全部屋外へ投げ出して被告を家の中に入れなかつたため、被告は自宅の庭で毛布などを借りて蚊取線香をたいて寝た。かような日が数日続いたが、その間、長男と二男は家の中で原告と寝たり、庭で被告と寝たりしていた。八月一六日の夜は、子供たちも外で過したのであるが、蚊取線香がなく蚊にさされたため、被告は原告に対し、子供だけでも家の中に入れてくれるよう依頼したが、原告は「母親の言うことを聞く子なんか駄目だ」と言つて家の中へ入れようとはしなかつた。そして、八月一七日、被告は原告に対し話し合いを申し入れたが、相手にされなかつたので、被告は、原告が手離さない三男を残し、長男、二男を連れて婦人相談所に身を寄せた。一方原告は、三男の監護養育を近所の人たちに頼んでいたが、やがて断られ、同年九月五日三男を乳児院へ入れた。
8 以上の経過をたどり、被告は昭和五六年九月から東京都北区赤羽にアパートを借りて、長男一郎、二男二郎とともに居住し、生活保護を受けながら、昭和五六年一一月からはパートタイマーとして勤め、月額約金一八万五〇〇〇円で生活している。原告は、被告の請求にもかかわらず、昭和五六年八月以降は婚姻費用、養育費を一切被告に支払つていない。そして、昭和五八年一月に原告が、同年六月に被告が、互いに相手を被告として離婚訴訟を提起するに至り、もはや互いに婚姻継続の意思を失つている。
大要以上の事実が認められ、前記証拠中、右認定に抵触する部分は措信し難く、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
二離婚請求について
1 まず、原、被告とも民法七七〇条一項二号に基づく離婚請求をしているので、この点について判断するに、前項で認定した事実によれば、原、被告の婚姻関係は、基本的には、被告の人格を無視した原告の生活感情と言動によつて破綻の道を辿つたと認められるのであつて、被告が原告との同居を断念して別居したことは止むを得ざるものであつたというべきであり、しかも、原告はやむなく別居した被告及び子供達に対して、昭和五六年八月以降生活費を全く支払わないのであるから、悪意の遺棄を原因とする原告の離婚請求は理由がないが、同様の原因に基づく被告の反訴請求は正当というべきである。
2 次に、民法七七〇条一項五号に基づく離婚請求について判断する。本件においては、原、被告双方とも婚姻関係の破綻を原因として離婚を求めているところ、前記一の認定事実によれば、本件婚姻関係はすでに回復し難いほどに破綻していることが認められるから、右各請求は理由があるものとして認容すべきである。
ところで、婚姻関係の破綻について主として専ら責任のある有責配偶者からの離婚請求は許されないものと解されているのであるが、本件のように、原、被告から婚姻関係の破綻を原因として本訴、反訴が提起されている場合において、その原因事実が認められるときには、その有責性の有無についての判断をせずに、双方の離婚請求を同時に認容すべきものと解するのが相当である。けだし、当事者双方の意思が合致すれば、有責性の有無を問わず協議離婚ができるわが国の離婚法制の下においては、右のように解したとしても、正義の観念に反するところはないと考えられるし、また、実質的にみても、無責配偶者の利益が害われるところがないと考えられるのみならず、破綻した婚姻関係にある夫婦が、ともに離婚を望んでいるものの、親権者の指定、財産分与について争つているという場合には、有責性の有無に関する審理判断が不要となる結果、婚姻生活の秘事についてまで詮索されることなく紛争の早期解決が図られることになるという利点が考えられるからである。
三親権者の指定について
前記一の認定事実、<証拠>を総合すれば、原、被告間の長男一郎及び二男二郎は昭和五六年八月以降被告のもとで監護養育され、三男三郎は昭和五八年一〇月一九日当裁判所で成立した裁判上の和解に基づき、本事件の判決確定までの間、暫定的に原告が監護養育することになり、原告の委託により同年一一月初めころから原告の両親のもとで監護養育されていること、長男、二男は被告がパートタイマーとして午前九時半から午後四時半まで作業員として稼働しているのにかかわらず、心身ともにほぼ順調に成長していること、他方、三男は、昭和五六年八月から昭和五八年一一月初めまで富士見乳児院に預けられていたが、原告はその間昭和五六年中に二回、昭和五七年中に三回の合計五回面会しただけであること、被告はその間、毎月二回以上面接し、母子関係は良好であり、また、三男が原告の両親のもとに預けられてからも、時折、電話をかけたり、訪れたりして母子関係の紐帯を保つていること、また、被告は収入能力は原告に比べて低いが、現在パートタイマーとして働いているうえ、生活保護を受けることで月一八万五〇〇〇円位の収入を得て生活の安定を得つつあり、離婚後は青森県弘前市所在の実父乙山春男所有の土地、建物を無償で借りられることになつており、そこに親子四人で生活する意向であること、右土地建物の住所地と被告の実家の住所地とは車で約一時間程度であり、被告の両親からの援助も期待できること、三男三郎は前胸部伝染性軟属腫を患つたことがあるが、軽快しており、同児の養育にも特に支障はないこと、他方、原告は手取り約二五万円の月収があるほか、居住用の土地建物を所有しており、親権者に指定されれば当面は、第三者を雇つて監護を委ね、離婚後は再婚して子供三名の養育をしたい意向をもつているが、原告には、子供ら三名を自ら監護養育する能力がないうえ、長男、二男の養育費も分担していないことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。
右認定の事実によれば、子供ら三名の親権者としては、被告と定めることが幼少の三名の子らの福祉を図るうえから相当と認められる。なお、三男は暫定的措置として、原告の両親が養育に当つているが、三男の幸福を考えると、かような事態は可及的速やかに解消して、三男もまた、長男、二男と同様、母である被告の膝下で監護養育させるのが相当と考えられる。
四慰謝料請求について
本件婚姻関係は、主として原告の被告に対する人格無視の言動によつて破綻したものであることは、前記一で認定したとおりであるから、原告の慰謝料請求は失当であるが、原告は被告に対し、被告の被つた精神的苦痛を慰謝すべき義務がある。そして、右認定の離婚に至る経緯、その原因、原、被告双方の資産、収入の程度、婚姻期間等諸般の事情を総合勘案すれば、慰謝料額は少なくとも金三〇〇万円を下らないと認められる。
よつて、原告の慰謝料請求は失当として棄却すべく、被告の慰謝料請求は正当として認容すべきである。
五財産分与について
<証拠>を綜合すれば、現在原告名義の財産としては、埼玉県蕨市○○町一丁目三九一番一二の九所在の土地、建物(購入価格二八八〇万円)があるが、右物件は原告と被告が資金を出し合い、昭和五一年五月三〇日、八五〇万円で取得した埼玉県志木市大字○○字○○一八五八番所在の原告所有名義の土地、建物を売却して得た一二八〇万円を元手に原告が購入したこと、右志木の土地、建物の購入資金について原、被告が実質的に負担した額は、被告が約四一二万円、その余は原告であつたことが認められ、前記証拠中、右認定に抵触する部分は措信できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
右認定の事実によれば、原告と被告とが右志木の物件について出捐した額は概ね二分の一ずつということができるから、離婚にあたり原、被告の財産関係を清算するについては、右志木の物件の処分価額の二分の一にあたる六四〇万円を原告から被告に財産分与として支払わせるのが相当である。
よつて、被告の財産分与の申立は理由がある。
六結論
以上の次第で、原告の本訴離婚請求は認容するが、慰謝料請求は棄却し、被告の反訴請求をすべて認容し、未成年の子三名の親権者はいずれも被告と定めることとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条但書を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を、それぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(糟谷忠男 榎本克巳 市村弘)